「強い債務」と「弱い債権」
「強い債務」と「弱い債権」という表題に、違和感を抱く人は多いかも知れません。債務は義務等の不利益だから弱いものであり、債権は権利や利益だから強いものであるはず。特に、悪質な債権者による強引な取り立てや、土足で踏み込んだ(実際にはそんなことはありませんが)執行官が家財一切に差押えの封印票を貼り付けていく、といったイメージからすればなおさらです。確かにそうではあるのですが、それは平時、もしくは債権に実効的な実現手段がある限りでのことです。
平時ではない、つまり任意の履行を期待できない企業が交渉する場合は、そのような前提は成り立ちません。まともな企業であれば、違法スレスレの強引な取立てなどできませんし、国家権力を頼みにしようとしても、まず裁判所に訴え出て、数か月から数年の審理の末に勝訴判決を得る、という迂遠なプロセスを経なければならないからです。勝訴判決があってもなお履行がなされなければ強制執行するほかなく、これも奏功するとは限りません。債務者に資力がなければ金銭債権はそもそも無意味ですし、資力があっても執行対象の財産を突き止められなければ、勝訴判決は絵に描いた餅です。金銭以外の債権となるとなおさらで、「絵を描く債務」という教室設例がこれを物語っています。
その前に決着を付けようとすると、(法的な権利義務を睨みつつも)様々な形の交渉力の勝負となります。その際、債務は「担保」としてプラスに、債権は「人質」としてマイナスに働きます。債務者は、法律上義務であるはずの債務の履行を保留することを、他の何かを実現するための交渉カードとして使います。債権者は、法律上正当な権利であるはずの債権の履行を受けるために、やむを得ず、他の何かで譲歩しなければならなくなります。いかにもビジネス倫理にもとる感じがしますが(何しろ履行を保留すること自体が本来は債務不履行です)、もはや通常のビジネス過程にはないので、ある種の「ディール」になってしまうわけです。
銀行はこれをもっとスマートかつ適法に行います。銀行預金は銀行にとって債務ですが、同時に最高の担保であり、まさにその目的で取得されます。万一、貸付けの焦げ付きなどがあれば、直ちに預金と相殺することで貸付金を回収することができるからです。同じ債権でも担保のない売掛金しか持たない一般企業には、このような芸当はできません。だからこそ、代わりに与信管理を行うわけですが、これもまた銀行の方が遥かに長けています。銀行は商売柄、債務の強さと債権の弱さ、言い換えれば債権債務と現金の違いを身に染みて分かっているということです。
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