IT時代の大神通と小神通
鎌倉時代の禅僧である道元は、「不思議な力である神通には大神通と小神通がある。世間の人は火を吹いて見せるような小神通を尊ぶが、本当の大神通は、毎日ご飯を食べ、疲れれば寝るといった、人間が生きて暮らしているという当たり前のことにある」(中村元氏による)と言ったそうです。この考えからすれば、ITの世界には、「〇〇を使えば、たちどころに●●が起こる」といった類の、玉石混交の小神通が満ち溢れていることになるでしょう。
それでも、初めは小神通であったものの(ごくごく)一部は、その真価が分かるにつれ、当り前だが不可欠の大神通になっていきます。それは、道元の言う神通うんぬんとはいかにも次元の違う話ですが、ともかく技術の進歩であり定着であるわけです。パソコンやインターネットは、使うのに何の努力も要らず、空気のように当たり前のものになりましたが、少し振り返ってみれば容易にその価値を実感することができます。
ところが、PDCAサイクルのような、使うのにそれなりに努力を要するものになると、話は変わってきます。PDまでは良いとして、CAまで回すことは殆どないのではないか。過去の失敗プロジェクトの総括などやって、多数の問題点と教訓が導き出されたにもかかわらず、話はそこで終わり。同じことが何度も繰り返された挙句、「これほど問題点と教訓が得られたにもかかわらず、それが生かされていないこと自体が問題だ」などというメタ教訓が得られてしまう始末です。
「運動すれば体に良いことは分かっている」と同じように、当り前の(だが手間のかかる)ことはスルーされる運命にあるのでしょうか。
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