プログラムの「使用」と著作権法

知的財産権

 2010年1月に、コンピュータ関連の著作物の利用の円滑化を図るための著作権法の改正がなされました。その中に、「電子計算機において、著作物を当該著作物の複製物を用いて利用する場合...情報処理の過程において、当該情報処理を円滑かつ効率的に行うために必要と認められる限度で、当該電子計算機の記録媒体に記録することができる」とする47条の8があります。この典型として、プログラムが実行時にメモリにロードされる場合が挙げられますが、これについては昔から議論がありました。

 もともとプログラムには、(法の要件を満たす限り)著作物として著作権法上の保護が及びます。もっとも、著作権法は複製等を中心に規律するものなので、プログラムを単に使用することは、著作権法の枠外の問題ということになります。これは、本をコピーすることは法に触れても、読むこと自体は自由であるのと同じ理屈です。良くあるプログラムの使用許諾ライセンスも、必ずしも著作権法上の権利の許諾なのではなく(それも含まれますが)、プログラムを事実上提供して使用できる状態に置く、という意味合いが強いわけです。
 ただ、プログラムを使用する場合には必然的にメモリへのロードという複製を伴うので、結局のところ複製権の侵害になってしまうのではないか、という問題が残ります。しかし、これは改正前でも侵害に当たらない、というのがほぼ確立された見解でした。理屈はいろいろですが、簡単に言えば、法が勝手な複製を禁じているのは、コピーが作成されると権利者がオリジナルについて持っていた著作物に対するコントロールがそれだけ減殺されるからであるが、プログラムの実行時にメモリにロードされたからといってそのような問題は生じないから、ということです。
 実際、プログラムの使用に関して、著作権法第113条2項は「プログラムの著作物の著作権を侵害する行為によつて作成された複製物を業務上電子計算機において使用する行為は、これらの複製物を使用する権原を取得した時に情を知つていた場合に限り、当該著作権を侵害する行為とみなす。」と規定しています。「みなす」とは、本来そうでないものをそうであると扱うことを言いますから、この規定は、プログラムの使用が本来は著作権の侵害に当たらないことを前提にしているわけです。
 この問題は、もう少し広げて考えると、コンピュータの利用に伴う著作物の一時的蓄積(メモリロードやバッファリングが典型です)が著作権法上の複製として侵害行為となるのか、という問題に通じています。欧米諸国の多くでは、物理的な複製を伴う行為をひとまず複製と見た上で、権利侵害と見るべきでない行為を個別的に対象から除外していくというアプローチを採っています。これに対して、日本では、実質的な侵害性のある行為だけを複製であると解釈するというアプローチを採っていると言われていました。今回の改正は、そのような日本法の土壌の中に、欧米アプローチを持ち込んだようにも見えます。条文として書かれた内容は妥当(むしろ従前からの解釈の条文化)だとしても、逆に、条文化から外れたグレーゾーンは黒と解釈されることになるのか、少なくとも黒と解釈され易くなるのか、気になるところです。