リスクヘッジ視点で見る契約条項の費用対効果

IT法務

 契約書の契約条項を検討する場合、リスクヘッジについては考えるかも知れませんが、費用対効果については余り考えないかも知れません。しかし、実務で後者をなおざりにするのは、決して好ましいことではありません。

コストに引き合う場合

 以下に例を挙げるのは、ライセンサーと代理店との代理店契約にある、勧誘行為の優先権に関する非常に複雑な条項です。内容はあまり関係ありませんので、条項の長さと複雑さを見て頂ければ十分です。

 ライセンサーが代理店からの顧客勧誘の通知を受ける以前に、顧客に対して本製品販売についての勧誘行為を開始した場合、当該顧客に対してはライセンサーの勧誘行為が優先するものとし、別途ライセンサーの書面による事前の承諾がない限り、代理店は当該顧客に対して本サービスの勧誘行為を行うことはできないものとする。これに対し、代理店がライセンサーによる勧誘行為の開始以前に顧客勧誘の通知を行った場合は、ライセンサーは合理的理由のない限り当該通知を承認するものとし、当該顧客に対しては代理店が優先して勧誘行為を行うことができるものとする。
 ただし、顧客勧誘の通知の日から1年間を経過しても代理店と当該顧客との間に販売契約が成立しない場合は、ライセンサーは自己の選択により、別途規定される紹介料Aを代理店に支払うことにより、定められた期間内に限り、ライセンサーが優先して勧誘行為を行うことができるものとする。また、代理店が優先して勧誘行為を行うことができる場合であっても、顧客が自己の判断でライセンサーとの直接の販売契約を希望する場合、以降はライセンサーが優先して勧誘行為を行うことができるものとし、この場合にライセンサーと当該顧客との販売契約が成立したときは、ライセンサーは代理店に対して別途規定される紹介料Bを支払うものとする。……

 この代理店契約では、ライセンサーと代理店がしばしば同じマーケットで競合関係に立つ、1回の取引額が(したがって、勧誘行為にかけられるコストも)大きい、という事情があったことから、取引のルール自体が複雑となり、それが条項に反映されたわけです。条項を作成し、交渉すること自体に相当な時間、労力、コストをかけていますが、それだけのことはあるという例です。実際の契約では、更に複雑なコミッションの取決めもありますが、ビジネスの内容そのもの、金銭に直結する問題ですから、相当なコストをかけても引き合うわけです。

コストと天秤にかけるべき場合

 これに対して、かけるコストに引き合わない条項もあるわけですが、あまり議論されることはありません。その理由は、コストとの天秤にかけることが、「契約書をきちんと取り交わす」というあるべき姿から離れるようで、後ろめたさを感じさせるからでしょうか。しかし、契約書はあくまでビジネス上の取引に付随する手段であって、それ自体が目的ではありませんから、費用対効果を無視するわけにはいきません。条項作成のコスト、リーガルチェックのコスト、交渉のコストは言うまでもありませんが、それらの負担のために、契約締結自体が遅延するコスト、更には結局のところ契約を締結できなくなるコストも考えなければなりません。
 契約書を取引の(法的)リスクのヘッジの手段と考えれば、ヘッジできるリスクの大きさがコストを上回らなければ、目的を達しないことになります。ここで、「リスクの大きさ=発生頻度×影響度」ですが、注意したいのは「発生頻度」の方です。契約書の中の多くの条項は、ある種のリスク状況を前提とするものですから、必ずそれなりの「影響度」がある場面を想定しています。しかし、多くの場合、それだけのリスク状況が顕在化する可能性は実はそれほど高くはありません。ここでいう「発生頻度」とは、有事の際にその条項の有無によって法的帰結が変わってくる頻度、を意味するからです。

損害賠償など一般条項での例

 例えば、損害賠償額の上限を契約額とする責任限定条項における「発生頻度」とは、自己の責任で債務不履行を来たし、それに起因する損害が相手方に発生し、かつ賠償すべき金額が契約額を超える頻度、ということになります。この場合の「影響度」は、本来の損害賠償額が契約額を超える差額ですが、これが大きくなるにつれ「発生頻度」は急激に低下していきます。この両者の掛け算が、責任限定条項でヘッジできるリスク、すなわち同条項がもたらす(そしてコストと比較されるべき)効果ということになるわけです。このように、比較的効果が高いと考えられる責任限定条項ですら、それほどのリスクヘッジ効果があるわけではないのです。むしろ、その効果の大部分は、青天井になりかねない賠償額を有限の枠内にとどめる保険的効果という、責任限定条項に特有の機能にあるというべきでしょう。
 実際のところ、一般条項の多くは「発生頻度」が非常に低いのが通常です。権利義務譲渡の禁止、合意管轄、誠実協議などは、契約書には必ず入っているが訴訟でも訴訟外でも一度も使ったことがない、というのが多くの企業における実情でしょう。これらは、定型的でコストが低いために契約書に入れておく意味はありますが、「第三者からの権利侵害の申立ての場合の取扱い」などになると、本当に(有効に)機能する場面があるのか疑問に思えてきます。契約実務に余裕のない中小企業の通常の取引であれば、「契約書をきちんと取り交わす」ことの重点は、契約書がないまま取引関係に入るのを避けること、取引対象や金額のような取引固有の条件を明確にすること、にあると言うべきです。