契約内容のグレードと「劣化契約」

IT法務

 表題にある「劣化契約」は、造語です。モノだけでなく、企業や官僚や容姿までが劣化すると言われる時代ですから付けてみたわけですが、劣化契約の場合、これらとは一線を画する事情があります。それは、やむを得ず、あるいは結果的に劣化するのではなく、当事者が意図的に劣化させる、という事情です。つまり、当事者が(いかにも拙い思惑の下に)わざわざグレードの劣るものを契約の内容として選択し、結局のところその劣ったグレードの故に自ら不利益を受ける、というのが劣化契約です。

 ここまでなら「安物買いの銭失い」と似ていますが、この場合に困るのは買い手だけです。劣化契約の場合、売り手も買い手も困るところが違います。講釈が長くなりましたので、IT関連の例を挙げてみます。
 劣化契約の代表は、システム開発での「ドキュメント排除契約」です。数百万円程度の規模の開発であればともかく、少なくとも相当規模のビジネスアプリケーションの開発であれば、設計ドキュメントは必須です。しかし、ユーザに興味があるのは出来上がりのシステムであり、ドキュメントではありません。それどころか、開発途中でドキュメントを確認する(させられる)ことなど、面倒なだけです。ベンダも下手にドキュメントなど作れば、ユーザからの追加や変更を誘発して厄介なだけですから、是非ともこれを排していち早く実装に入りたい思惑があります。しかも、ドキュメントを排除すればコストも期間も節約できるのですから、両者の利害は一致します。そして、ドキュメント排除の劣化契約が成立し、結果、仕様齟齬や品質不良でトラブルに陥ります。
 これと同様のものに、「テスト端折り契約」があります。これは例えば、必要なテスト密度は到底実施できないような短期のテスト期間を設定する、単体テストや結合テストのような地道なプロセスなしにいきなり全体のビッグバンテストを実施する、といったベンダからの提案に現れます。あるいは、ユーザの方から、「テストにはそんなに手間をかけなくていいから」などとオーダーすることすらあります。言うまでもなく、要件定義や設計や実装のような目に見える成果物が作られる工程は、行うに値する(支払うに値する)が、特段新しいものが付け加わるわけでもないように見える(本当は品質が付け加わるのですが)テスト工程は、行うに値しない(支払うに値しない)、という共通了解(共通誤解)があるためです。そして、テスト端折りの劣化契約が成立し、結果、障害と不具合の連続に苦しむことになります。

 もちろん、契約の重要な要素は一切トレードオフにかけていはいけない、ということではありません。システムの規模や複雑さ、開発や保守の体制によって必要なドキュメントは質量ともに変わってきますし、高度の信頼性が要求される重要インフラ情報システムと社内のデータ照会システムとで必要なテスト密度が大きく違ってくることは、当然です。問題はその要素の意味を理解せず、必要なものまで削ってしまうことにあります。
 似て非なるものに、例えばレンタルサーバーの契約があります。これは、初めからグレードごとに売り物自体が切り分けられており、ディスクの種類や多重度、バックアップの方法や頻度など、必要とされる信頼性ごとに別種のサービスとして提供されています。ここでは、パソコンのディスクと同程度のものが丸裸で提供されていても、用途によっては役に立たないわけではありません。これを重要なオリジナルデータの保管に用いるとすれば大いに問題は生じますが、少なくとも、双方の利害が一致して劣化契約に落ち込むようなことはありません。
 これだけのことであれば、誰にでも分かる理屈なのですが、ドキュメントやテストではグレードの存在がそもそも認識されていない、だから極限まで劣化させてしまう、ということでしょうか。