違法ダウンロードと犯罪
いきなり刑法の条文から入りますが、刑法235条には、「他人の財物を窃取した者は、……10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」とだけあります。つまり、他人の物を盗んでいいのかどうかという点を飛ばして、ただ刑罰の点だけを規定しているわけです。この話を聞くと、「それなら、懲役や罰金を覚悟すれば、他人の物を盗んでもいいのか?」と疑問に思う人がいるかも知れません。もちろん、答えは「ノー」です。
刑法235条のような犯罪は、講学上、「自然犯」などと呼ばれています。他人の物を盗むといった、その行為自体が、社会的・道徳的に悪とされている犯罪を指します。刑法235条は、そのような社会的・道徳的な判断に乗っかっている、言い換えれば、わざわざ「盗んではならない」などと書く必要がないから、書いていないわけです。初めから悪と決まっているものを、刑罰という劇薬を使ってでも禁圧する、これが刑法235条です。
これに対して、「法定犯」と呼ばれる犯罪もあります。これは、その行為自体は、必ずしも反社会的・反道徳的であるわけではないが、一定の行政目的を達成するために、ある行為を禁じ、あるいは逆にある行為を命じ、その違反に対して刑罰をもって臨むというものです。道交法上の義務(例えば、左側通行)のようなものが典型で、具体的な何かの行為が禁じ(命じ)られることが、必ず規定の中に入ります。そうしておかないと、何が禁じ(命じ)られているかも分からないところで、それに「違反」したのだとして、刑罰を科されることになってしまうからです。
さて、「自然犯」でも「法定犯」でもない(つまり「犯罪」でない)ものに、ある行為を禁じ(命じ)る規定はあり、これに違反すると違法との評価は受けるものの、刑罰は科されない、というものもあります。これは、数年前から罰則付となった有償著作物以外の「違法ダウンロード」のようなもので、禁止の実効性に問題はあるものの、立派に「やってはいけない」とのお墨付きが得られているものです。他方で、罰則付となった有償著作物の「違法ダウンロード」には、確かに「自然犯」さながらの「悪さ」があります。しかし、刑罰という劇薬を使ってでも禁圧しなければならない行為であったのかどうか、批判もなされています。
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