検証不能システムへの「第一歩」
今から十数年前、パリで行われた世界陸上の男子100メートル準決勝で、椿事が起こりました。発端は、メダル候補と見られていたアメリカの有力選手が、フライング(正しくは、false start)で失格となったことでした。同選手はフライングの判定に抗議して、走路に大の字に寝て抗議したため、競技マナーや不服申立てのあり方にも議論は及びましたが、ここで問題にしたいのは、そもそもフライングとは何なのか、ということです。
当時、競技場でもテレビでも、問題の場面が何度もスロー再生されましたが、少なくとも、肉眼では同選手が他の選手より早くスタートを切ったということは確認できませんでした。何度も再生を繰り返した挙句、実際のスタート前に、同選手の足が痙攣のように、一瞬だけピクリと反応したように見えた、それがスターティング・ブロックの反応装置に検出された、といようように(外野の議論は)落ち着いたようです。確かにスロー再正に目を凝らすと、そのような動きがあったように見えなくもありません。しかし、陸上競技規則のフライングに、その「ピクリ」が該当するのかどうかは明らかではありません。
ところで、フライングの定義は、「ピストルの合図があってから、人体の反応限界であるゼロコンマ○秒未満でスタートした」となっているようです。もっとも、スパイク・シューズがスターティング・ブロックに置かれているだけで、それなりの加重はかかっているわけですから、ある加重限界を超えた時点でスタートしたとみなす、というような前提なのでしょう。(現状でどこまでやっているのかは不明ですが)これを更に精緻化すれば、ゼロ秒時点でのスタートとは言えない小さな加重状態から、合図後ゼロコンマ数秒後のスタートと言える大きな加重状態に向けて急速に立ち上がる、その波形を全体として評価してフライングかどうかを判断することになるでしょうか。
そうなると、かなり複雑な判定アルゴリズムが組み込まれたシステムが介在することになってきます。その場合、ある選手がフライングを犯したということは、その選手の作り出した波形が、そのシステムの判定アルゴリズムによってクロと評価されたということです。何か問題が起きたときに、こうしたものを検証することは、不可能ではないにしても著しく困難です。そこでは、ルールが適正な判定アルゴリズムの形で実装されるというのではなく、現に実装されている判定アルゴリズムがルールである、とでも言うしなかい状況が生まれます。この種の問題は、機械化された現代社会では実は少なくないのでしょうが、AIなどが実用化されれば更に増えるのでしょう。
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