契約書の著作権と再利用

知的財産権

 契約書に何らかの権利は認められるのでしょうか。契約書の内容、つまりその契約書による取引の事実であれば、不正競争防止法上の営業秘密となったり、NDAで秘密情報に組み込まれたりすることがありますが、文面そのものとなると著作権の問題となります。この点、契約書の文面も文字による表現であり、また、一定の法的思考の成果なのですから、状況次第では著作物になり得るようにも思われます。

 しかし、裁判例(東京地判昭和62年5月14日)は、相手方が作成した契約書案について、「本件文書の記載内容は、思想又は感情を創作的に表現したものであるとはいえないから、著作物ということはできない」と著作物性を否定しています。確かに、契約書を作成するには多大の時間と労力、そして専門的知見を要しますが、それが思想や感情を対象としているか、表現の創作に向けられているかと言えば、答えは否でしょう。
 契約書の場合、重要なのは内容すなわち裏側にある「あるべき取引規律」で、表現においてもそれをいかに正確に反映させるかに焦点が当たります。したがって、表現の幅が大きく制約され、創作性を備える余地はほとんどない、ということになるのでしょう。実際、取引条件は項目ごとにある程度類型化されるため、著作権が広範に認められてしまうと、既に権利化されている表現をあえて避けなければならない、といった不都合も生じます(依拠していなければ同じ表現でも構わないという建前ではありますが)。この点、プログラムコードの場合と事情は似ている、あるいはより徹底していると言えます。
 また、実務の状況を見ても、自社の契約書を作成する際は、他社の契約書を「参考」にするというのが通常であり、そもそも権利主張がなされるような状況にはありません。著作権があり得るとすれば、実際の取引にかかる契約書ではなく、契約書の起草方法や、契約リスクへの対処を解説した実務書に掲載された、書式例のようなものでしょうか。しかし、これもコピーして利用することが想定されているサンプル書式のような趣旨のものであれば、通常の利用形態であれば、黙示の許諾があると考えて良いと思われます。

 このような状況の下、世の中の多くの契約書は、既存の契約書の改修や切り貼りで作成されていると言えます。あたかも、世の中の多くのプログラムが、既存のプログラム(OSSやフリーソフトウェア)の改修や切り貼りで作成されているのと同様です。
 こうした慣行は、本来、効率的に品質の高いプロダクトを作成する鍵とも言えるはずですが、こと契約書に限っては、文脈にそぐわない条項が出てくる、出元の異なる条項が不整合を来たしている、といった品質の低いの契約書を生み出す温床になっているように思われます。理由は明らかです。プログラムの場合、プログラマは既存のプログラムの内容を理解したうえで利用しますが、契約書の場合、法務担当者は既存の契約書の内容を理解しないまま利用するからです。