IT紛争の「党派性」
IT紛争を抽象的に論じるとき、「ベンダ対ユーザ」という観点、すなわち「党派性」が色濃く出ます。同じ論点についての考え方一つをとってみても、ユーザの見方とベンダの見方では(類型的に)180度違います。
例えば、(望ましくない)仕様変更が生じてしまったとして、ベンダから見ればユーザの我儘であって契約範囲外のこと、ユーザから見れば仕様確定に至る当然の道筋であって契約範囲内のこと、となります。医療過誤事件での「医師(病院)対患者」、労働事件での「使用者対労働者」さながらです(もっとも、これらの分野では、当事者ではないはずの弁護士も、自己の信念その他諸々の理由から何れか一方の党派の代理しかしない、あるいはそうならざるを得ないということがあるとも聞きますが、IT分野では、どちらもビジネスの枠内ということからか、そのようなことはないようです。)。
同じことは、紛争にまでは至らない場面でも言えます。契約書のあり方一つをとってみても、ベンダとユーザでは契約上のリスクの所在や、それに対するコントロールの可能性・方法がまったく違います。そのため、相手方が提示するものはもちろん、広く用いられている一般的なひな形であっても、これを安易に受け入れることは、実は大変に危険なことなのです。
他方、ITには「技術」としての合理性が支配する(はずの)広大な領域があります。ここで、「技術」というのは、ハードウェアやソフトウェアの技術に限られません。マネジメントやコミュニケーションもまた、ITを論ずる際の不可欠の技術です。先に例として挙げた仕様変更も、多くの場合、組織としての意思がとりまとめられ、これが伝達される過程での、マネジメントやコミュニケーションのミスから生じます。その合理性がどこにあるかを見極めない限り、同じ失敗が繰り返されます。
しばしば、党派性を帯びた議論は、こうした技術的な合理性を見る目を曇らせることがあります。有事の際に党派性が前面に出るのはやむを得ないとしても、平時にある時、合理性を見る目を養っておきたいものです。
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