先端プロジェクトと人格訴訟

IT法コラム

 人格訴訟とは、相手方に対する人格的非難を公に実現することを目的とした訴訟のことです。良く知られているところでは、離婚訴訟にはそうした傾向が色濃く出ます。そこでは、相手方(つまり現配偶者)を「有責」に追い込むために、徹底した非難の応酬が繰り広げられます。しかも、訴訟では、「(婚姻)破綻の原因は相手方の性格にある」といった抽象的な主張では意味がありませんから、「夫は某日、某所において『○▲○▲○▲』という暴言を吐いた」であるとか、「妻は某日、某所において『■▽■▽■▽』の暴挙に及んだ」といった、具体的・迫真的な(聞くに堪えない?)人格非難に至ります。

 これとそっくり生き写しなのが、システム開発訴訟です。プロジェクトが途中で破綻してしまった場合、客観的に破綻したことは争えませんから、その責任原因が勝敗を決します。訴訟で相手方(つまりプロジェクの元同士)を「有責」に追い込むためには、「(プロジェクト)破綻の原因は相手方の能力不足にある」といった抽象的な主張では意味がありませんから、「ベンダのリーダーAは、入門書に書いてある『○▲○▲○▲』の業務知識すら有していなかった」であるとか、「ユーザの業務担当者Bは、『■▽■▽■▽』程度の確認一つに3か月もかかった挙げ句...」といった、具体的・迫真的な(聞くに堪えない?)人格非難に至ります。
 しかもシステム開発訴訟の場合、プロジェクトがトラブルに陥ると相当のストレスが長期間続きますし、危機的状況に陥ってからも何とか破綻を免れようと双方が相当の妥協を強いられます。そうした状況を経て来ているわけですから、かなりの集団的「怨念」が溜まっています。また、自らがやってきたことに対する職業的なプライドの、ネガティブな発露ということもあるのでしょう。それで「人格訴訟」となるわけですが、最も合理的に進めなければならない開発プロジェクトの後始末が、最も感情的な要素を含んでしまうというのは、何とも皮肉なものです。ある裁判官曰く、「システム開発訴訟で出てくる陳述書は、どうにも読む気がしない」。